「信用」という言葉は適切でしょうか?
「法定通貨の価値の根源は政府や中央銀行への信用である」というように、
経済学では「信用」という言葉をよく使います。
学術用語と言ってしまえばそれまでなのですが、
「通貨とは価値があるものである」という教義を信ずる、
という様子はどちらかというと「信仰」に近いと思います。
例えば、「信用」を「信仰」に置き換えて表現してみると、以下のようになります。
「通貨の価値は信仰心で決まる」
・・・信じれば信じるほど価値は高い。
信じるものは救われる。
うまく実態を表現できていると思います。
反対に、信仰を失った神様は力を失うように、
信仰を失った通貨も力を失います。
有神論における神の存在のように、
多くの人は通貨や価値の存在を(無批判に)肯定しているのではないでしょうか。